プロフィール

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ダイスケのプロフィール

 

DAISUKE
DAISUKE
ブログをご覧いただきありがとうございます、当ブログの運営者ダイスケです。

 

こちらでは、私のプロフィールを紹介したいと思います。

 

私はパチスロを始めてから借金、失業、飢餓、夜逃げ、依存、奮起、成功いろいろな経験をしてきました。

 

そしてネットビジネスを勉強して、ブログを書くようになったと。

 

自慢にもなりませんが、結構波乱万丈な人生を送ってきました(笑)

 

話は数十年前に遡ります。

 

長くなるかもしれませんが、こんな経験をしても好きな事を辞めなかった。その先に見えた実話のストーリーです。

 

ドン引きせずにお付き合いください(笑)

 

兄に連れてかれた、初めてのパチスロ

 

出典 パチマガスロマガ様

 

私はパチスロが大好きで、初めてパチスロを打ったのが地元で兄に連れられて行ったのが最初でした。

 

当時は15歳という年齢。ぶっちゃけ話、中○生でした・・・(笑)今では考えられませんが、当時はそんな年齢でも普通に追い出される事無くパチスロを打てた時代でした。

 

まぁ老け顔だったし、ガタイもいい方だったんで・・・(笑)

 

初めて入ったパチンコ屋さんは音がとてもうるさく、タバコの匂いが充満していて、まるで異世界に来てしまった様な感覚でした。

 

その環境に押しつぶされそうで、胸がとてもドキドキしていたのを今でも昨日の事の様に覚えています。

 

初めて打った機種はクランキーコンテストという旧アルゼ。今ではアクロスという会社が出していた、バリバリの技術介入台である4号機A-タイプが初めて打った機種でした。

 

軍資金は2歳上である兄が貸してくれた1万円で遊技した記憶があります。

 

たしか・・・7千円くらい負けたのかな?それでも、ビッグボーナスを引いてコインがジャラジャラ出てきて、兄と楽しみながら打った記憶があります。

 

暗い夜の帰り道、兄と2人で「あのボーナスで止めておけば良かったよ!!」とか「パチスロっておもしろいね!!」とか、そんな話をしながら家路を歩いた気がします。

 

なんか懐かしくて、いま思い出しても少し涙目になりますね・・(笑)

 

しかし。これが私のパチスロで身を滅ぼすきっかけになるとは、当時は思わなかったんですよね。

 

就職・・・そして、パチスロ依存の始まり

 

中○生を卒業した私は、高○には進学せず、隣町の板金屋さんで働く様になりました。

 

僕らの世代はちょっと悪い様な奴らが多く、中○生なのに就職組が6人もいました。

 

高○に進学した友達はみんな格好もオシャレになっていき、楽しそうに青春を謳歌していく中、私は親方に怒鳴り散らされながらも必死で汗水垂らし働いていました。

 

この時は仕事に付いていくのがやっとで、パチスロも遊び程度に行くくらいの感じでした。

 

当時の良く打った機種は、大花火、マリーンバトル、不二子2、オオガメラ、大江戸桜吹雪などの大量獲得機と呼ばれたA-タイプでした。

 

この頃のパチスロが一番楽しかった思い出があります。

 

大量獲得機とは、今で表すとA-タイプの1回のビッグボーナスで630枚~711枚のメダルを取れる機種と言えば分かりやすいかと思います。

 

すごいですよね?普通に現A-タイプの倍のメダルですから。その代わり、ボーナスがとにかく重いんですけどね(笑)

 

設定1でも初当たり確率は1/500くらいだったと思います。それでも、10万使っても10万取り返せる様なポテンシャルがある機種ばかりでした。

 

ここら辺から僕の人生は音をたてて崩れ始めます。事件が起こったのは3年後。僕が19歳の時でした。

 

19歳になった僕は、地元の友達のお父さんに紹介された大手の造船所の二次請けの会社で働いていました。

 

会社もデカいため、当時の時給は1500円。一日8時間働いて日当12000円ももらっていました。

 

ハッキリ言って19歳のなんの学歴もない子供が、1日12000円。月に30万近い給料をもらうと、それはそれは金銭感覚がおかしくなるものでした・・・(笑)

 

それだけのお金があると大好きなパチスロに行って5~6万負けても痛くもかゆくもなかったんですよね。当時のパチスロ業界は今では伝説となったAT機の全盛期でした。パチスロのバブル期みたいなものです。

 

【獣王】【アラジンA】【初代ミリオンゴッド】【初代猪木】【インディージョーズ】などの高純増爆裂AT機が毎日の様に万枚、2万枚と、どこのパチンコ屋さんも乱舞している時代でした。

 

私の地元では、聞いた話ですが【アラジンA】という台で8万枚。換金額、実に180万円という出玉を出したおばちゃんがいるとの噂も耳にしたほどでした。

 

そんな時代に僕も胸を躍らせハマった機種がありました。その機種は【サラリーマン金太郎】。時速5000枚。というキャッチフレーズがウリの爆裂AT機でした。

 

とにかくこの機種には良くも悪くも思い出が多いです。設定や小役確率など全く分からず、出せばいいという適当な台選びで連日負け続けました。

 

それでも、店内の前日出玉ランキングで必ず入っているサラリーマン金太郎。

 

【設定1 2万枚!!】とか【設定2 1万5000枚!!】などのポップを見るたびに「設定なんか関係ない!!今日こそは!!」という思いでお金を湯水の様に使っていました。

 

当然給料などすぐに底を尽き、仕事中も身が入らずパチスロの負けを取り返す事ばかり考えていました。

 

挙句の果てには月分しっかり働いてもいない状態なのに給料を30万前借りして、全てパチスロに溶かす。そんな日常を送っていました。

 

借金苦、失業・・・そして、死への願望

 

 

 

そんな日常を送っていた僕が、当時毎日の様にTVでCMをやっていた消費者金融に手を出すのは必然でした。

 

そう、ご利用は計画的ではありませんでした。借入の使い道はパチスロの軍資金でしたから。

 

すでに二十歳を迎えていた僕は、3社ほどからお金を借りてそのお金をパチスロに全て注ぎ込みました。

 

「勝って返せばいいんだ!!」という甘い考えで。そんな考えがうまく行くはずはないですよね?。ただ適当に台を選べばいいという全く改善の無い同じ事の繰り返しだったんですから。

 

この頃パチスロがやりたくてやりたくてどうしようもなく、仕事も平気で無断欠勤して挙句の果てには、辞めるという連絡もしないまま仕事をバックレるという今思うと本当にクソみたいな人間になっていました。

 

こうなるとお金も借りられなくなり、とうとう八方塞がりになりました。

 

そしてやってくる地獄の日々・・・。毎月の返済日にもお金を用意出来ずどうしようかと考えるが、何もしないまま過ぎていく時間。

 

そして金融会社からの毎日の様に来る返済の催促の電話・・・。自業自得ではありますが頭がおかしくなりそうで、自殺も考える様になり、タバコの葉っぱを数本バラシて水の中に入れ、それを一気に飲んで死のうとした事もありました。

 

死ぬことも出来ず、携帯電話のお金も払う事も出来ず強制解約となり、返済の電話は鳴る事は無くなりましたが、現状は何も変わらないまま時間は過ぎていきました。

 

田舎への逃亡・・・そして一からのやり直し

 

僕の実家は事業を営んでいました。おじいちゃんが一代で築いた印刷屋でした。中学の1年生の時におじいちゃんが亡くなり、父が後を継いでからも細々ではありますがなんとかやっていました。

 

しかし、時代の流れとは時として残酷なもので、活字印刷という昔の印刷技術ではパソコンなどが普及し出した時代では効率、手間などを考えるととても太刀打ち出来るはずもなく、徐々に生活は困窮していく一方でした。

 

父は仕事が無い時など警備員のバイトを掛け持ったりしながらなんとか頑張っていたのですが、家のローン、印刷機などのリース代などが生活を圧迫し、とうとう家を売る決断を下しました。

 

父は山が好きで「余生は田舎で暮らしたい。」と言い、母、祖母とペットを連れて田舎への移住を決めました。僕は「地元を離れる事が出来ないから。」と地元に残り、姉と二人暮らしでやっていくと決めたのです。

 

それが僕が17歳の時でした。

 

話を元に戻しますね。自殺を考え、携帯も繋がらなくなり働く気にもなれなかった僕が最後に頼ったのが両親でした。

 

日雇いの仕事をなんとか見つけ、その働いたお金でひとつのバッグに荷物を積み込み、新幹線に乗り込みました。田舎で待つ両親の元へ。現実から逃げる様に・・・。

 

田舎で待つ両親はこんなダメな人間になっていたのを叱りもせず、温かく迎えてくれました。

 

ほとんど毎日何も食べていない生活に久しぶりの母親の料理は本当に美味しく、泣きながら料理を掻き込んだのを覚えています。

 

そしてこの土地で一からやり直そうという決意を固めました。

 

右も左も分からない土地で、最初はお金も無く、友達すらいない生活でも仕事を見つけ、徐々に日々の暮らしにも慣れていきました。

 

1年過ぎ、2年過ぎ、5年も過ぎた頃になると生活も安定しだし、知り合いや友達も増え、彼女なども出来る様になりました。

 

紆余曲折はありましたが何とか田舎の生活も軌道に乗り始めてきました。そうなると昔の地獄の様な日々の記憶もだんだん薄れてくるようになりました。

 

再びの依存・・・そして、心境の変化

 

生活も安定しだしたのですが、パチスロを打つというのは簡単に辞められるものではありませんでした。

 

巷で言うギャンブル依存症というものなのでしょう。給料が出ればお金が無くなるまでパチスロに注ぎ込むという生活は変わらなかったんです。

 

昔の経験が多少なりともあったので、支払いのお金などにはさすがに手を付ける事はしなかったですが、それでも残りの給料をパチスロで使い果たしてしまうという生活は変わりませんでした。

 

貯金なども全く出来ず、将来の事など微塵も考える事もせずただただ楽しければいいんだ。という生活が僕が30歳くらいになるまで続きました。

 

人間って年を重ねだすと保守的になってくると思うんです。頭がだんだん固くなるというか。一概には言えないですけどね。

 

でも、30歳を過ぎた辺りから、なぜか自分の心境に変化が訪れたんです。

 

「こんな毎月パチスロで負けてばかりでいいのだろうか・・・?」

 

ふとそんな感じの想いが頭をよぎりました。ハッキリ言って気づくのも遅いですけどね(笑)

 

良い訳無いですよね。だってパチスロで人生を自分で壊してしまいながらまた同じことを繰り返そうとしている。行きつく先はまた同じような地獄である事は目に見えているのですから。

 

今思うとあの時の自分の心境の変化と言いますか。あの時抱いた想いっていうのをなぜ思ったのか分からないのですが、本当にそう思って行動した自分というのを信じて良かったな。って思うんです。

 

この時を境に、少しずつ自分が変わっていきました。

 

期待値稼働との出会い・・・そして、動き出した未来

 

このままで良い訳がない!!そう思った僕は携帯の検索エンジンであるキーワードを調べました。

 

パチスロ 勝ち方

 

当時はパチスロなんかで勝てると言ったらどうせ法に触れる事をやるしかないのだろうと思っていました。

 

しかしこのキーワードで検索し、あるブログを閲覧していく内に衝撃を受けました。

 

「パチスロは勝てるんですよ。」「期待値を取り続けましょう。」「天井狙いは安定して稼げます。」

 

今までパチスロというものは、高設定を打てば勝てると思い込んでいました。

 

だから、ホールに行くとジャグラーの合算の良い台やAT機、ART機のろくにスランプグラフを見ないでドーンと出ている台を選んで打つくらいの感じでした。案の定収支は全くついてきませんでした。

 

そんな感じの立ち回りしかしていなかった自分にこのブログは目から鱗だったんです。そこから自分の期待値稼働に向けての猛勉強が始まりました。ダメで元々。疑うくらいなら実践してみよう。そう思ったんです。

 

実践資金は5万円でした。不慣れで不安しかありませんでしたが、近所のホールで天井狙い、ゾーン狙いなどを中心に立ち回り、初月で7万円ほどプラスになりました。

 

「パチスロって本当に稼げるんだ・・・」と思った瞬間でした。

 

そこからいろいろ勉強を重ね、自分なりの地域に合った立ち回り方、朝、夕方の狙い台などの工夫などを確立していき、今では月10万円くらいの収支をプラスに出来るくらいになりました。

 

ハッキリ言って自分なんかまだまだだと思います。世の中上には上がいるし、たまに僕も趣味打ちという名の設定狙いとかしてしまう事も少なからずあります。

 

でも昔と確実に違うと言える事は、期待値の無い台を座らないという事。安易な気持ちで高設定だろうという気持ちで台に座らないという事を学んだ事です。

 

それを証拠に昔は給料が入って早い日で3日で無くなっていたお金が、今では毎日パチスロを打ちに行ける軍資金を確保出来る様にもなりました。これだけでも全然違いますよね?

 

田舎のホールでもパチスロって本当に勝てるんです。大事なのは、自分自身で考えて行動する事。日々勉強する事。ホントにただそれだけなんです。

 

ネットビジネスという新しい稼ぎ方、そして趣味を仕事に。

 

パチンコやパチスロで収益を得られる様になった僕は、さらにお金を稼ぐために勉強しだしたのがネットビジネスでした。ネットビジネスって胡散臭いイメージがあると思います。

 

確かに情報を得るためにお金が掛かるし、実際に【簡単にお金が稼げます!!】みたいな謳い文句でお金だけ搾取され、全然稼げないなんていう情報も蔓延している事も事実です。

 

僕も何回も騙されながらも本物の情報を見つけるのを諦めず、お金を投資し、勉強を重ねました。

 

そこで出会った本物の情報が趣味をそのまま仕事にする事。趣味をテーマに色々な役立つ情報をブログ読者さんに提供し、収益化していくという手法。俗に言うブロガーという稼ぎ方。

 

とてもワクワクする様な衝撃と共に、ひたすら勉強を重ねていきました。

 

僕なんてパチスロで借金を重ね、色々な人達に迷惑を掛けてきた本当に底辺のクズ人間だと自分でも思っています。

 

でも、そこで自分自身を完全否定せずに諦める事をしませんでした。人間本当にやってはいけない事は諦めてしまう事だと思います。

 

自分のやってきた事がどこまで人の役に立つのか?その結果、自分自身が人間的に経済的にどこまで成長出来るのか?

 

ひとつの岐路に立ったような気持ちになり、新しい挑戦をしてみようと決意しました。

 

 

今の自分に出来る事・・・そして、自分自身のために。

 

 

今の自分に何が出来るのか。

 

そして自分自身がこれからもっと成長出来るために、今まで勉強してきた事をブログに書き連ね、僕と同じ様な経験をしてきた人の役に立ちたいと思いました。

 

まだまだ発展途上の自分のパチスロに対しての気持ちや楽しさ、負けている人がパチンコやパチスロで勝てる様になり、もっと遊戯人口が増える。

 

台に対しての愛情や楽しさなどを体感してもらい、パチスロを楽しんでもらえる様になったらいいな。と・・・

 

それって最高じゃないですか?趣味を本当の意味で仕事にするっていうのを目指して。

 

このブログは自分自身の備忘録でもあります。

 

僕はこのブログで、自分が持っている知識や工夫、新しく得た知識などを惜しげもなく出していこうとおもっています。

 

その備忘録がもしかしたら見てくれる読者さんに役立つ時があるかもしれない。そんな思いで初心を忘れずにこのブログを運営していけたらなと思います。

 

皆さんにパチスロをもっと好きになってもらいたいから。

 

パチスロで身を滅ぼし、パチスロで再起をかけようとした男の魂のブログです(笑)

 

長くなりましたが僕のプロフィールと決意表明としたいと思います。